痛みの定義は「組織損傷」だけで足りるか

痛みの定義はどう決まったのか——IASP改訂の合意過程から読む

The revised IASP definition of pain: concepts, challenges, and compromises

Framework / Classification | 2020 | 疼痛定義

疼痛の定義と概念枠組み

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何を調べた?
1979年から使われてきたIASPの「痛み」の定義と付記を、維持すべきか変更すべきか。IASP会長が指名した多国籍タスクフォース14名が約2年かけて審議し、改訂を勧告した報告です。介入の効果を検証した研究ではなく、用語と概念枠組みを扱った文書です。
何が分かった?
改訂定義は「An unpleasant sensory and emotional experience associated with, or resembling that associated with, actual or potential tissue damage.」となり、付記は語源を含む箇条書き6項目に更新されました。付記には、痛みは常に個人的体験であること、痛みとnociceptionは異なる現象であること、痛みという本人の報告は尊重されるべきであることなどが並びます。一方で、46カ国808件の公開意見では「満足」41.7%、「不満」41.5%とほぼ同率に分かれています。
何を言ってはいけない?
これは「痛みの正体が解明された」文書ではありません。タスクフォース自身が、付記は痛みの生物学の論説でも診断基準でもないと合意しており、複数の論点は多数意見に基づいて決められています。定義が変わったことは、評価法や治療の是非が決まったことを意味しません。

重要ポイント

  • IASP会長指名の多国籍タスクフォース14名が、modified Delphi法・会議・公開意見募集を用いて2018〜2020年に審議し、改訂を勧告しました。
  • 改訂定義では「aversive」が平易な「unpleasant」に戻され、「typically caused by」が因果を含意しない「associated with」に戻されました。
  • 付記では痛みの記述が「subjective」から「personal experience」へ言い換えられ、「客観的でない/本物でない」と解釈される懸念が理由として挙げられています。
  • 公開意見808件(46カ国)のうち、提案定義への満足と不満はほぼ同率で、不満群の約半数(49.7%)は患者・介護者でした。
  • nociplastic painが改訂定義に十分包含されるかについては委員間で見解が分かれ、social injuryを含める主張は最終案に反映されていません。

文書を読み解く2〜4分

この文書が生まれた背景

1979年、IASPのTaxonomy小委員会(委員長 Harold Merskey)の勧告として採択された定義は、WHOを含む諸機関に広く採用されてきました。しかし近年、痛み理解の進展を理由に再評価を求める議論が起こり、複数の代替定義が提案されていました(Wright 2011、Williams & Craig 2016、Cohen et al. 2018、Aydede 2019)。そこで2018年春、IASP会長 Judith Turner が Presidential Task Force を設置し、現行定義と付記を維持すべきか変更すべきかの評価が始まりました。

どのように合意がつくられたか

多国籍14名のタスクフォースが約2年間、modified Delphi survey、毎月のウェブ会議、電子メール討議、対面会議を組み合わせて審議しました。生命倫理学者・哲学者・言語専門家に外部助言を求め、IASP会員と一般に向けたウェブ調査(2019年8月7日〜9月11日)で意見を集め、自由記載には質的内容分析を行っています。2019年11月にIASP Councilへ改訂案を提出し、2020年1月に最終勧告に至りました。ここで押さえておきたいのは、これがデータの統計的検証ではなく、審議と意見集約による合意形成の記録だということです。

定義に課された前提(概念構造)

タスクフォースは、定義が満たすべき前提をあらかじめ置いています。急性痛にも慢性痛にも妥当であること、nociceptive・neuropathic・nociplasticといった病態生理を問わずすべての痛みの状態に適用できること、ヒトにもヒト以外の動物にも適用できること、そして可能な限り外部観察者ではなく痛みを体験している当人の視点から定義すること。この前提が、後の語句選択のほとんどを規定しています。

語がどう選ばれ、どう戻されたか

初期案では「described in terms of」を「perceived as」に置き換える方向が検討されましたが、新生児や重度の発達・知的障害を有する人、多くのヒト以外の動物を除外しうるという意図せぬ帰結が問題になりました。続いて2019年7月に「An aversive sensory and emotional experience typically caused by, or resembling that caused by, actual or potential tissue injury」が Council と公衆に提示されます。しかし公開意見で「aversive」は理解しにくく多言語に訳しにくいと批判され「unpleasant」に戻され、組織損傷の強調を減らすため「typically caused by」も因果を含意しない「associated with」に戻されました。最終形は Text Box 2 の「An unpleasant sensory and emotional experience associated with, or resembling that associated with, actual or potential tissue damage.」です。

付記6項目と語源

改訂付記は次の6項目です。①痛みは常に個人的体験であり、生物学的・心理的・社会的要因により程度の差で影響される、②痛みとnociceptionは異なる現象であり、感覚ニューロンの活動のみから痛みを推論できない、③人は生涯の経験を通じて痛みの概念を学ぶ、④ある体験を痛みとする本人の報告は尊重されるべきである、⑤痛みは通常適応的役割を持つが、機能や社会的・心理的well-beingに有害な影響を及ぼしうる、⑥言語的記述は痛みを表現する行動の一つにすぎず、伝達できないことはヒトまたはヒト以外の動物が痛みを体験する可能性を否定しない。加えて語源(Middle English、Anglo-French peine、Latin poena、Greek poinē)が添えられ、④には Declaration of Montréal の「痛み治療へのアクセスは基本的人権である」という記述が注として付されています。

意見は割れていた

公開意見募集では46カ国から808件の回答があり、58%が臨床家・研究者・管理者・教育者・研修生、42%が痛みを有する当事者・痛み関連の障害を有する者・介護者でした。提案定義に「非常に満足/満足」は41.7%、「不満/非常に不満」は41.5%とほぼ同率です。不満群の内訳は患者・介護者が49.7%、専門職が32.4%でした。定義への意見は4つの上位カテゴリー(10サブカテゴリー)、付記への意見は7つの上位カテゴリー(14サブカテゴリー)に整理されています。なお、この調査は英語のみで実施されています。

この文書が扱っていないこと

タスクフォースは、付記は痛みの生物学の論説でも痛みの診断基準でもないと明記しています。脳画像は痛みの神経機構理解を進める可能性はあるが、ヒトの痛みの言語報告の代替ではないという立場も引用されています。また未解決点も残されました。組織損傷への言及が過度に前面に出ているとの意見(神経障害性疼痛は組織損傷のない領域で感じられうる)、nociplastic painが「resembling」句で十分に包含されるかについての委員間の不一致、心理的トラウマや虐待などのsocial injuryを含めるべきという一部委員の主張が最終定義には入らなかったこと。社会的側面を定義本体ではなく付記に置くという判断も、多数意見によるものです。

原典から臨床へ

① 原典で提示されていること原典

タスクフォースは、定義を「An unpleasant sensory and emotional experience associated with, or resembling that associated with, actual or potential tissue damage.」に改訂し、付記を語源を含む箇条書き6項目に更新することを勧告しました。改訂過程では、公開意見を踏まえて「aversive」が「unpleasant」に、「typically caused by」が「associated with」に戻され、付記の「subjective」は「personal experience」へ言い換えられています。公開意見募集では46カ国808件の回答が集まり、満足41.7%・不満41.5%とほぼ同率、不満群の49.7%は患者・介護者でした。nociplastic painの包含やsocial injuryの扱いについては、委員間で見解が一致していません。

①′ 原典での位置づけ原典・著者の考察

著者らは、この改訂定義と付記をIASP Councilが全会一致で承認したと報告し、今後の進歩に応じて更新される living document とすることを望むと述べています。また、WHOが2019年に採択したICD-11の慢性疼痛分類と時期的に整合し、痛みを重要な健康状態として認識する一歩になると述べています。

② 療活ではどう考えるか療活編集部の整理・ここからは原典そのものではありません

療活編集部として、この文書からまず持ち帰りたいのは「定義の言葉づかいが、臨床での説明のしかたに直結する」という点です。付記②が痛みとnociceptionを別の現象として扱い、感覚ニューロンの活動のみから痛みを推論できないと書いていることは、「画像所見が軽いのに痛みが強い」「触ると痛いのだから組織が壊れている」といった場面での説明を、一度立ち止まって組み直す材料になります。
また、「subjective」から「personal experience」への言い換えの理由が、「客観的でない」「本物でない」と受け取られる懸念だったという点は見逃せません。用語の選択は、患者にどう聞こえるかまで含めて議論されていました。臨床で私たちが使う「気にしすぎ」「心理的なもの」といった言葉も、同じ問題を抱えているかもしれません。
そして、不満を表明した回答者の約半数が患者・介護者だったという事実は、専門職の合意が当事者の納得と自動的に一致しないことを示しています。定義は共通言語の土台ですが、その土台のうえで何を聞き、どう記録するかは、私たちの側の課題として残ります。

③ 臨床で観察するとしたら療活編集部

観察の候補としては、本人が痛みをどの言葉で語るか(鋭い・重い・こわい・動かせない、など)、どの場面・どの動作で痛みが立ち上がるか、痛みの訴えと動作の実際のずれ、「動かしても大丈夫」という本人の見通し、痛みが生活のどの活動を止めているか、そして本人の報告と検査所見が食い違うときに自分がどちらを優先して記録しているか、が挙げられます。付記の6項目を、そのまま問診の観察軸として使ってみることもできます。

④ まだ言えないこと

この文書は用語と概念枠組みの改訂勧告であり、評価尺度の妥当性や介入の効果を検証したものではありません。したがって「新しい定義に従えば痛みの評価はこうすべき」「この定義が中枢性の関与を裏づけた」とは読めません。付記は診断基準でもないため、個々の患者の痛みの機序をここから決めることもできません。加えて、複数の論点は多数意見で決着しており、nociplastic painの包含やsocial injuryの扱いは未解決のまま残されています。公開意見募集が英語のみで行われた点も、集まった意見の範囲を考えるうえで留めておきたいところです。

この研究と臨床の距離

この文献は、痛みという語の意味と付記を専門家合意で改訂した文書です。臨床の言葉づかいや記録の枠組みを見直す土台になりますが、特定の評価法や介入の効果を検証したものではなく、個々の患者の痛みの機序を決めるものでもありません。定義から臨床判断までには、概念の理解と、評価・介入それぞれの検証という段階が残っています。

専門家合意による定義・概念枠組みの改訂 → 付記の各項目が示す概念の理解 → 臨床での問診・記録・説明の言葉に置き換える段階 → 評価尺度や介入の妥当性の検証 → 目の前の患者の痛みの理解と個別判断

逆の視点から読んでみる

「付記が『subjective』を『personal experience』に言い換えた」→「では痛みは主観的なものではないと決まったのか」とは読めません。原著が挙げた理由は、subjectiveという語が「客観的でない」「本物ではない」と解釈される懸念があったことであり、痛みが客観的に測定できると保証したわけではありません。むしろ付記②は、感覚ニューロンの活動のみから痛みを推論できないとし、脳画像も言語報告の代替ではないという立場が引用されています。言い換えの狙いは、本人の体験を軽く扱わせないことにあり、測定可能性の宣言ではありません。

この文献を読んだあと、何を見る?

次に痛みを記録するとき、自分の書いた一文が「本人の体験の記述」なのか「自分の機序の解釈」なのかを分けて読み返してみてください。分けて書けているかどうかで、次に何を聞けばよいかが変わってきます。

考えてみましょう

自分がカルテに書いた「痛み」の記述は、本人の言葉から来ているだろうか、それとも自分の解釈から来ているだろうか。
この患者の痛みの訴えを、組織の状態以外の説明でも語れるとしたら、それはどんな説明になるだろう。

答えを急ぐ必要はありません。次の臨床で、少し観察してみてください。

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  • 神経障害性疼痛の確からしさをどう段階づけるか Finnerup 2016 この研究を発展させた|痛みの定義から一段進み、神経障害性疼痛という概念をpossible/probable/definiteの確信度でどう扱うかを具体化した枠組みです。

原典・書誌情報

Raja SN, Carr DB, Cohen M, et al. The revised International Association for the Study of Pain definition of pain: concepts, challenges, and compromises. Pain. 2020;161:1976-1982.

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原典照合:大塚 久(原典照合=AI・PMC全文(著者原稿HTML)・2026-08-17)/最終確認日:2026-08-17

確認状況:書誌確認・抄録確認・全文入手可・全文照合・主要数値確認・臨床Bridge確認

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