リハビリテーション専門職として病棟に足を踏み入れるとき、私たちは「病気そのもの」だけでなく、もう一つの目に見えない巨大な敵と戦っています。それが入院関連機能障害(Hospital-Associated Disability: HAD)です。「肺炎は治ったけれど、歩けなくなった」「心不全は安定したけれど、自分でご飯が食べられない」。そんな「治療の成功、リハビリの敗北」というパラドックスを打破するために、今、私たちが持つべき武器を整理しましょう。
【本日の疑問】
Q:入院した高齢者が急激に動けなくなる「HAD」の正体とは何ですか?
A:主疾患の影響だけでなく、安静や環境変化によって入院早期(数日間)にADLや歩行能力が低下する報告もあり、入院2日目が自立維持の重要な分水嶺になり得る、深刻な「生活能力の喪失」のことです。
Q:リハビリの時間以外に、病棟で目指すべき具体的な活動量の目安はありますか?
A:観察研究で入院患者の平均歩数が極端に少ない現状を踏まえ、臨床的な実務目標として1日の「座る・立つ・歩く」の合計時間を120分以上、または歩数を900歩以上確保することが、機能低下を防ぐひとつの目安と考えられています。
Q:全身状態が悪くて動かせない時期のリハビリには、どんな意味があるのですか?
A:適切なポジショニングや愛護的な運動で細胞の掃除機能(オートファジー)の活性化を目指し、後の「攻めのリハビリ」で筋肉が反応しやすい土台を作ります。
- HAD(入院関連機能障害)は、主疾患の悪化ではなく、入院時の安静や環境変化により急速に生活能力が失われる状態です。
- 機能低下を防ぐ臨床的な目安として、1日の「離床時間120分」または「900歩」程度の活動量確保を意識することが重要です。
- 全身状態に応じて、細胞環境を整える「守りのリハビリ」と、限界まで反復する「攻めのリハビリ」を戦略的に使い分けます。
HAD(入院関連機能障害)という「静かなる危機」

HADとは、主疾患の悪化ではなく、「入院というプロセスそのもの」によってADL(日常生活動作)能力が失われることを指します。筋肉は、驚くほど正直です。健康な高齢者が10日間ベッドで安静に過ごすと、約1㎏(厚切りのステーキ肉約5枚分に相当)の下肢筋肉量が減少する可能性があります。しかも、筋力の低下はさらに速く、1日あたり最大で約1~1.5%も削り取られていきます。
驚愕のエビデンス:2日目が自立の分水嶺
HADの発生率は、70歳以上の高齢入院患者において30~60%に達するとも言われています。特筆すべきは、そのスピードです。一部の研究では、入院早期(最初の数日間)に20%前後の高齢者でADLや歩行能力の低下が認められたと報告されており、入院からの数日間、特に「2日目」が自立維持の重要な分水嶺になり得ます。さらに残酷な事実は、退院時にADLが低下していた患者の相当数が、1年経っても入院前の水準に戻ることができないと報告されている点です。私たちは、入院初日から「時間」と戦っているのです。
なぜHADは起きるのか? 犯人と凶器を特定する

HADを引き起こす要因は、大きく3つの層に分かれます。
- デコンディショニング(エンジンの性能低下)
安静により心肺機能や自律神経系が衰え、少し動くだけでオーバーヒートする状態。血漿量の減少により、起立性低血圧も引き起こされます。 - 廃用症候群(パーツの劣化)
「使わない」ことで筋萎縮、関節拘縮、骨粗鬆症が進行する物理的な劣化。 - 環境・医原性因子(外的要因)
「転倒が怖いから」という過度な安静指示、不慣れな病室でのせん妄、低栄養などが、患者から動く機会を奪います。
HADとPICS:似て非なる「入院の代償」
集中治療室(ICU)を経験した患者には、さらに複雑な集中治療後症候群(PICS)が重なります。
| 項目 | 入院関連機能障害 (HAD) | 集中治療後症候群 (PICS) |
|---|---|---|
| 主な対象 | 高齢者全般 | ICU入室患者 |
| 障害の範囲 | 主に身体機能・ADL | 身体・認知・精神の3要素 |
| 家族の影響 | 焦点が当たりにくい | 家族の精神障害 (PICS-F) も含む |
ICUから一般病棟へ移ってきた患者は、「PICSという深い傷」を負いながら「HADという二次災害」に直面している、極めてハイリスクな状態であることを忘れてはなりません。
攻略の黄金律:120分と900歩

HADを食い止めるため、私たちは観察研究などから導き出された臨床的な「目安」を意識する必要があります。入院高齢者の平均歩数は約700歩前後と極端に少ないことが分かっています。この現状を打破する実務的な目標値として、以下の数値がひとつの指標になります。
「120分の壁」
⇒1日の「座位・立位・歩行」の合計時間を120分(2時間)以上確保することがひとつの目安です。
「900歩の目標」
⇒1日900歩以上の活動量を維持することがひとつの目安です。
リハビリ室での40分だけでは、この壁は越えられません。病棟スタッフと連携し、食事や排泄という「生活の動線」をいかに活動量に変換できるかが、リハビリ職の腕の見せ所です。
フェーズ別介入戦略:守りと攻めの「二段構え」

全身状態に合わせて、私たちは介入のギアを切り替えなければなりません。
〈守りのリハビリ(全身状態が悪い時)〉
全身状態が悪く、異化(分解)が進んでいる時期は、「鍛える」のは逆効果です。ここでは、メカノトランスダクション(機械刺激受容)の視点を持ちましょう。基礎研究では、適度な機械刺激が細胞内の恒常性維持機構(オートファジー)に関与する可能性が示唆されています。前傾側臥位やポジショニング、愛護的なROM訓練は、細胞に「適切な歪み」を与えます。これがスイッチとなり、細胞内の掃除機能であるオートファジーの活性化を目指します。細胞内のゴミ(変性タンパク質など)を掃除しておくことで、後の「攻め」の時期に栄養や刺激を受け入れる土台を整えるのです。
〈攻めのリハビリ(全身状態が良い時)〉
炎症が落ち着き、栄養が入るようになったら一気に攻勢に転じます。高齢者の「同化抵抗性」を打ち破るには、適切な管理下で「低負荷・高反復(疲労困憊まで)」の処方が有効です。30~50%of1RM程度の負荷で、もう動けないという限界(All-out)まで繰り返すことで、高負荷トレーニングと同等の筋タンパク合成を促すことを目指します。さらに、MMTのような等尺性収縮を組み合わせることで、眠っている神経系(運動単位)を強力に叩き起こします。
〈リハビリを「生活」に転移させる〉
リハビリ室での成果を、病棟ADLに接続しましょう。
車いすの選定(ティルト・モジュール型)やクッションの調整は、単なる「環境整備」ではなく、「120分の活動を支えるための治療的介入」です。安定した座位が確保されて初めて、患者は「机上課題」や「自力摂取」という能動的な活動にエネルギーを割けるようになります。
守りから攻めへ:いつ「スイッチ」を入れるか?

「まだ安静か? それとも動かすべきか?」
この判断に迷ったとき、私たちは主観を捨て、客観的な医学的基準に立ち返る必要があります。
CRP値の減少傾向、心拍数や血圧の安定、そして本人の意欲。これらの「青信号」をいかに見逃さずに、最速で「攻めのリハビリ」へ転換できるか。その具体的な判断基準とリスク管理については、以下の詳細コラムをぜひ参照してください。
☞ 全身状態に合わせる時、どう見極める?ポジショニングのリスク管理と判断基準を徹底解説
結びに:私たちの手が「未来」を変える
HADは、適切な介入によりリスクを低減できる可能性が高い障害です。細胞レベルのオートファジーを信じて「守り」、生理学的限界を狙って「攻め」、そして病棟というフィールドを最大限に「活用」する。あなたの専門的な介入が、患者さんが「自分の足で自宅の敷居を跨ぐ」という未来を創り出します。さあ、明日からの病棟訪問、活動量のパズルを一緒に完成させましょう。
まとめ
- ★「1日1%」の損失を食い止める:
高齢者は10日間の安静で約1㎏の下肢筋肉量(ステーキ約5枚分)が減少する可能性があるため、入院初日からの介入が予後を左右します。 - ★「守り」と「攻め」の戦略的使い分け:
炎症期は細胞環境を整えるケア(守り)、安定期は低負荷・高反復トレーニング(攻め)へと、全身状態に合わせてギアを切り替えます。 - ★24時間の活動マネジメント:
リハビリ室での訓練を病棟ADL(食事・排泄など)に繋げ、多職種連携で「120分・900歩」といった臨床的な目標活動量を確保することがHAD攻略の鍵です。
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【免責事項】
本コラムに掲載されている情報は、一般的な情報提供および教育を目的としたものであり、特定の個人に対する診断、治療、または医療的助言を目的とするものではありません。入院関連機能障害(HAD)の予防やリハビリテーションの実施にあたっては、必ず主治医の指示を仰ぎ、個々の患者様の全身状態やリスクを十分にアセスメントした上で、専門職の責任において判断してください。掲載内容の利用によって生じた直接的・間接的な損害について、筆者および当サイトは一切の責任を負いかねますのであらかじめご了承ください。
※画像はAI(Gemini)により生成
【参考文献】
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