運動とは “全身の協調反応” である
運動とは、単に筋肉が動くことではありません。骨格筋が機械的な仕事を成し遂げるために、心血管系、呼吸器系、エネルギー代謝、体温調節、内分泌系、神経系といった全身のシステムが一斉に起動し、瞬時に最適化される、いわば「全身の協調反応」です。
運動が始まると、まず脳からのフィードフォワード制御(セントラルコマンド)が自律神経と呼吸中枢を駆動させます。その後、筋肉や血管からのフィードバック情報(機械受容器、代謝受容器、化学受容器などからの信号)が、その時々の状況に合わせて応答を微調整します。私たちセラピストにとって、この急性応答のメカニズムを深く理解することは、安全なリハビリの負荷設定、患者さんの症状出現の早期検知、そしてなにより重要なリスク管理に直結します。
覚えておきたいキー方程式
- Fick(フィック)の原理:$VO₂$ = 心拍出量(CO) × 動静脈酸素較差(a−vO₂差)
- 心拍出量:CO = 心拍数(HR) × 一回拍出量(SV)
- 分時換気量:$V_E$ = 一回換気量($V_T$) × 呼吸数(f)
- 熱収支:体内熱貯留 S = 代謝産熱 M − 外的仕事 W ± 放射 R ± 対流 C ± 伝導 K − 蒸発 E
【循環器系】心拍数・血圧の急性応答
1. 自律神経の素早い切り替え
運動開始とほぼ同時に、まず副交感神経(迷走神経)の活動が抑制され(Vagal Withdrawal)、心拍数が素早く上昇します。その後、交感神経の活動が活発化し、心筋の収縮力を高め、全身の血管をコントロールします。ただし、活動している骨格筋の血管は、代謝産物によって拡張が促される「機能的交感神経遮断」という現象が起こり、血流が確保されます。
2. 心拍数(HR):運動強度のバロメーター
心拍数は運動負荷にほぼ比例して直線的に上昇します。臨床での大まかな目安として、約1METsの上昇で心拍数は1分あたり約10拍増加します。最大心拍数の予測には、有名な「220 − 年齢」の他に、より精度が高いとされる「208 − 0.7 × 年齢」が用いられます。β遮断薬を内服している患者さんやペースメーカー使用者では、この応答が異なるため解釈に注意が必要です。
3. 一回拍出量(SV):心臓が送り出す血液量
運動中は、筋ポンプ(筋肉の収縮による静脈血の還流促進)や呼吸ポンプ(呼吸運動による胸腔内圧の変化)により、心臓に戻る血液量(前負荷)が増加します。これにより、フランク・スターリングの機序を介して一回拍出量(SV)が増大します。ただし、立位での持久的運動では、SVは最大酸素摂取量の40〜60%程度の強度で頭打ちになることが多く、それ以上の強度では主に心拍数の増加によって心拍出量を増やします。
4. 心拍出量(CO)と動静脈酸素較差(a-vO₂差)
心拍出量(CO)は、安静時の約5 L/分から、未訓練者では15〜25 L/分、トレーニングを積んだアスリートでは30〜40 L/分にまで増加します。同時に、筋肉などの末梢組織が血液中から酸素を取り込む能力も向上し、動静脈酸素較差(a-vO₂差)は約3倍(5 → 15 mL/dL)に拡大します。
5. 血圧:運動の種類で応答が異なる
ウォーキングなどの動的な有酸素運動では、収縮期血圧(SBP)は運動強度に応じて徐々に上昇(目安:1METsあたり7〜10 mmHg)しますが、拡張期血圧(DBP)はほぼ変わらないか、わずかに変動(±10 mmHg)する程度です。一方、高強度の筋トレなどの静的な運動では、収縮期・拡張期ともに大きく上昇するため注意が必要です。特に、運動中に収縮期血圧が低下する現象は、心機能の低下や心筋虚血を示唆する危険なサインです。
6. 血流の再分配:必要な場所へ血液を集中
安静時は消化器などの内臓に多くの血液が供給されていますが、運動中は活動筋への需要が爆発的に増え、血流の最大80〜85%が骨格筋へと再分配されます。皮膚血流は体温調節のために一度増加しますが、高強度になると筋肉への血流を優先するために一時的に減少することもあります。
7. 心血管ドリフト:長時間の運動で起こる現象
高温環境下で長時間の運動を続けると、発汗による脱水や皮膚血流の増加により、中心循環血液量が減少して一回拍出量(SV)が徐々に低下します。それを補うために心拍数(HR)が代償的に上昇する現象を心血管ドリフトと呼びます。こまめな水分・電解質補給が予防の鍵です。
臨床での中止基準と介入のヒント
- 代表的な運動中止基準:収縮期血圧 > 250 mmHg、拡張期血圧 > 115 mmHg、運動中の収縮期血圧の低下、危険な不整脈、胸痛、重度の呼吸困難など。
- 介入のヒント(INCETの視点):過緊張や頻脈傾向のある患者さんには、ゆっくりとした呼気を促す呼吸誘導や、穏やかな皮膚へのタッチが副交感神経を優位にし、心拍応答を穏やかにすることがあります。呼吸と心拍のリズムを意識したペーシング指導も安全域を広げる上で有効です。
【呼吸器系】ガス交換の急性応答
1. 換気応答の3つのフェーズ
呼吸の応答は3段階で起こります。運動開始直後の第I相は、脳からの指令で換気が瞬時に増加。続く第II相では、二酸化炭素(CO₂)や水素イオン(H⁺)といった代謝性刺激によってさらに換気が増加し、第III相で定常状態に至ります。
2. 換気閾値(VT):有酸素運動の重要な指標
運動強度が高まり、換気閾値(VT)や乳酸性作業閾値(LT)と呼ばれるポイントを超えると、エネルギー産生が解糖系に大きく依存し始めます。これにより生じた乳酸を緩衝するためにCO₂が過剰に産生され、過換気の状態となります。このVTは、一般的に未訓練者では最大酸素摂取量の50〜60%、高訓練者では80〜90%のレベルに出現します。
3. 酸素摂取量(VO₂)とEPOC
酸素摂取量(VO₂)は運動負荷に比例して増加し、その最大値である最大酸素摂取量(VO₂max)は全身の有酸素能力の指標となります。運動開始直後には必要な酸素供給が追いつかない「酸素負債(O₂ deficit)」が生じ、運動後にはそれを埋め合わせるために運動後過剰酸素消費(EPOC)が起こり、しばらくの間、安静時よりも高い酸素摂取量が続きます。
4. 呼吸交換比(RER):エネルギー源の指標
呼吸交換比(RER = $VCO₂/VO₂$)は、体内でどのエネルギー基質が主に使われているかを示唆します。安静時や低強度の運動では脂質が主なエネルギー源となりRERは0.7〜0.85程度ですが、強度が高まるにつれて糖質の利用割合が増え、RERは1.0に近づきます。VTを超えて過換気が起こると、代謝由来ではないCO₂も排出されるためRERは1.0を超えます。
5. 呼吸筋の仕事
高強度や長時間の運動では、横隔膜などの呼吸筋も疲労します。呼吸筋の酸素需要が増えると、四肢の筋肉への血流が相対的に制限される「呼吸筋メタボリフレックス」が起こり、全身のパフォーマンス低下につながることがあります。このため、呼吸筋トレーニングが有効な場合があります。特にCOPDの患者さんでは、口すぼめ呼吸によって動的過膨張を軽減し、呼吸困難感を和らげることができます。
【代謝系】エネルギー供給の急性応答
1. 3つのエネルギー供給システム
エネルギー供給は、運動の強度と時間に応じて3つのシステムが連携して行われます。
- ATP-PCr系:瞬発的な動き(数秒)に対応。
- 解糖系:高強度の運動(数十秒〜数分)で活躍。
- 有酸素系:長時間の運動を支えるメインシステム。
実際にはこれらが独立して働くのではなく、常に重なり合いながら、その時々の状況に応じて主役が交代しています。
2. 乳酸は “悪者” ではない
かつて「疲労物質」とされていた乳酸は、現在では重要なエネルギー基質であり、シグナル分子でもあると理解されています。乳酸は、心筋や遅筋線維、肝臓(コリ回路)などで再利用されます(乳酸シャトル)。トレーニングによって、この乳酸の処理能力を高めることができます。
3. クロスオーバーコンセプト:運動強度とエネルギー源
運動強度が低いときは脂質が、強度が高くなるにつれて糖質が主なエネルギー源へと切り替わる現象をクロスオーバーコンセプトと呼びます。持久的トレーニングを積むと、同じ運動強度でもより脂質をエネルギーとして利用できるようになり、体内のグリコーゲンを節約する(グリコーゲンスペアリング)効果が得られます。
【体温・内分泌・神経系】その他の重要な応答
1. 体温調節と発汗
運動によって産生された熱は、皮膚血流の増加と発汗によって体外へ放出されます。特に湿度が高い環境では汗の蒸発が妨げられるため、熱中症のリスクが著しく高まります。発汗量は時に1時間あたり2リットルにも達するため、水分だけでなく電解質(特にナトリウム)の補給が不可欠です。水だけの大量摂取は低ナトリウム血症を招く危険があります。
2. ホルモンの応答
運動中は、血糖値を維持し、エネルギー基質を動員するためにホルモン環境がダイナミックに変化します。
- 低下するホルモン:インスリン
- 上昇するホルモン:カテコールアミン(アドレナリン、ノルアドレナリン)、グルカゴン、成長ホルモン、コルチゾール
また、脱水に応答して抗利尿ホルモン(ADH)やレニン-アンジオテンシン-アルドステロン系(RAAS)が活性化し、体内の水分とナトリウムを保持しようとします。
3. 骨格筋からのメッセージ物質「マイオカイン」
運動中に骨格筋から分泌される「マイオカイン」と呼ばれる物質が、全身に様々な良い影響を与えることがわかっています。例えば、IL-6は抗炎症作用や糖・脂質代謝の促進に関与し、BDNF(脳由来神経栄養因子)は神経の可塑性を高め、脳機能にも良い影響を与えます。
4. 神経系の制御:予測とフィードバック
運動の制御は、脳が「これからこう動くぞ」と予測して指令を出すフィードフォワードと、実際に動いた結果を末梢からの感覚情報で修正するフィードバックの組み合わせで成り立っています。この精緻な制御が、循環や呼吸の素早い応答を可能にしているのです。
INCETの視点:運動への “入り口” を作る
統合的神経認知運動療法(INCET)では、本格的な運動課題に入る前に、触覚、呼吸誘導、微細な関節運動といった心地よい求心性入力を用いることで、中枢神経の過剰な興奮を鎮め、自律神経を安定させます。例えば、「呼気を延長しながら胸郭に優しく触れる → 軽い振動刺激で筋緊張を整える → 低負荷で目的の運動を始める」といった段階的なアプローチは、痛みや不安による過剰な急性応答(頻脈や過換気)を抑制し、患者さんが安心して運動に取り組むための “安全な入り口” を作ります。
まとめ:臨床で活かすためのチェックポイント
運動時の急性応答は、中枢からの予測(フィードフォワード)と末梢からのフィードバックが織りなす、全身の統合的な反応です。私たちセラピストは、これらの生理学的背景を理解し、バイタルサインや自覚症状を注意深くモニタリングすることで、安全かつ効果的な運動療法を処方することができます。
重要ポイントの再確認
- ✅ 運動開始直後の心拍数上昇は、まず副交感神経の抑制、次に交感神経の活性化という順で起こる。
- ✅ 立位での有酸素運動では、一回拍出量(SV)は中等度強度で頭打ちになりやすい。
- ✅ 動的な運動では、収縮期血圧(SBP)は上昇し、拡張期血圧(DBP)は大きく変化しないのが正常な反応。
- ✅ 換気閾値(VT)を超えると過換気となり、呼吸交換比(RER)は1.0を超える。
- ✅ 運動中はインスリンが低下し、カテコールアミンやグルカゴンなどが上昇してエネルギー動員を促す。
- ✅ 高温多湿下での運動は熱中症リスクが高い。水分と電解質の補給を忘れずに。
あなたの臨床を次のステージへ導く「INCET®コンセプト」とは?
本稿でご紹介したINCET®(統合的神経認知運動療法)は、ICFとBPSモデルを基盤に、「身体・脳・環境」の相互作用を統合的に捉えるための臨床思考フレームワークです。
患者様の「こうなりたい」という希望(HOPE)から逆算し、構造・神経・環境・発達・心理認知という5つの視点で多角的に分析。徒手療法から認知行動的なアプローチまでを体系的に組み合わせることで、神経の回復力と行動の変化を最大化します。
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