「90歳で料理」は本当に無謀なのか?
- HOPEの背景にある「意味」を理解することが、支援設計の出発点になる
- 認知症があっても手続き記憶を活用することで、長年の得意作業は復元できる可能性がある
- 家族・多職種のゴール設定を「転倒させない」から「一緒に料理する」へ変えることが支援の質を根本から変える
こんにちは、作業療法士の内山です。前回のコラムでは、「畑仕事がしたい」というHOPEを起点にしたデイ支援の事例をお話ししました。今回は、「孫に料理を作りたい」という希望を持つ90歳女性のBさんの事例を通して、HOPEを中心にした支援設計の実際をお伝えしていきます。
「90歳で料理を目標にするのは無謀では?」──初めてBさんの話を聞いたとき、正直そう思ったスタッフもいました。しかし、そのHOPEの背景にある「意味」に目を向けたとき、支援の方向性は大きく変わりました。
1. 事例の概要
a) 利用者情報
- 氏名:Bさん(90歳、女性)
- 診断名:変形性膝関節症、軽度認知症(HDS-R 22点)、骨粗鬆症
- 要介護度:要介護2
- 居住形態:息子夫婦と同居(3人暮らし)
- デイサービス利用頻度:週3回
「この子たちのために、ずっと料理を作ってきた。でも最近、台所には立たせてもらえない。孫が来るときだけでも、自分の手で作ったものを食べさせたい」
b) HOPE(利用者の希望・目標)
- 本人の言葉:「孫に、私の煮物を食べさせたい」
- 長期目標:自宅台所で、息子の妻の見守りのもと簡単な一品(煮物)を調理できる
- 短期目標:デイでの調理活動において、安全に立位を保ちながら基本的な調理操作(切る・混ぜる・盛り付ける)を1品通して自立して行える
2. 初期評価
a) 身体機能面
- 筋力:下肢筋力低下あり(大腿四頭筋 MMT 3)。起立動作に軽介助が必要な場面あり
- バランス:TUG(Timed Up and Go)18秒。立位での作業中に後方重心になりやすい
- 関節可動域:膝関節屈曲90°(疼痛あり)。長時間の立位は10分が限界
- 上肢機能:両手の細かな操作はやや緩慢だが、包丁・ピーラー操作は可能
- 疼痛:NRS 4〜5(立位継続時)
b) 認知・生活機能面
- HDS-R 22点。手順の長い作業では途中で混乱する場面がある
- ただし、「料理」の文脈では手順の記憶が鮮明(「大根は面取りをしないと崩れる」など)
- 手続き記憶(長年の習慣として染みついた料理の動き)は比較的保たれている可能性がある
c) 家族・環境面
- 台所:カウンターキッチンで立位作業のみ。椅子使用は現状想定されていない
- 息子の妻(61歳)は料理が得意。「義母に料理を教わりたいという気持ちはある」と話す
- 家族の懸念:「転倒・骨折のリスクを考えると台所には立たせたくない」
3. アプローチ
a) デイサービス内での調理活動の段階的設定
「調理」という作業を安全・小さなステップで展開しました。
第1段階(座位調理):テーブルを調理台として使い、椅子に座った状態で材料の下処理を担当
- ピーラーで皮をむく、包丁で切る(材料を抑えながら右手で切る動作)
- 「座っても料理はできる」という成功体験の積み重ね
第2段階(立位短時間作業):立位での調理台操作を5〜7分から開始
- 手すりの代わりにキッチンカウンターを支持として活用
- 立位での鍋への材料投入・味見・盛り付けを担当
- 疲労感・膝痛のモニタリングを継続実施
第3段階(一品通しての調理):「大根と鶏肉の煮物」(Bさんの得意料理)を1品通して担当
- 材料の切り方・火加減・味付けはBさんが指示役として主導
- 療法士・スタッフは安全管理・サポート役に回る
b) 個別機能訓練
- 大腿四頭筋・臀筋の筋力強化(立位調理の継続的実施に向けて)
- 立位での前傾姿勢保持訓練(調理動作中の鍋への前かがみ動作に対応)
- 膝関節の疼痛管理:活動前後のアイシング指導、温熱療法(適応は個別の症状・時期に応じて判断)
c) 家族への情報提供・環境調整の提案
「台所に立たせない」ではなく「安全に立てる環境を作る」視点で、家族と話し合いました。
具体的な環境提案
- キッチンに高さ調整可能な椅子(スツール)を用意し、立位と座位を自由に切り替えられるようにする
- 滑り止めマットの設置
- 使用する調理器具をBさんが扱いやすい軽量タイプへ変更
- 息子の妻へ:「Bさんが調理を主導し、隣でサポートする役割分担」を提案
家族に「見守り役ではなく、教わる役として関わってほしい」と伝えることで、Bさんの自尊心が守られる関わり方が実現した。
4. 結果と変化
a) 身体機能面の変化(2ヶ月後)
- TUG:18秒 → 14秒
- 大腿四頭筋筋力:MMT 3 → 3+
- 立位継続時間:10分 → 20〜25分(疼痛管理との組み合わせで)
※上記の数値変化は、継続的な介入・疼痛管理・本人の意欲などが複合的に影響した結果と考えられます。介入単独の効果として断定するものではありません。
b) 生活・参加面の変化
- デイでの調理活動が週1回の定例プログラムとなり、Bさんが「先生役」として他の利用者に教える場面も生まれた
- 孫の帰省時、自宅台所で大根の煮物を調理。「おばあちゃんの味だ」と孫に言われた場面を、後日涙ながらに教えてくれた
- 「もう自分には何もできない」という口癖が消え、「次はお正月に雑煮を作りたい」という言葉が出るようになった
c) 家族関係の変化
- 息子の妻との調理を通じた交流が増加。「義母から煮物の基本を教わった。こんな時間が持てると思わなかった」
- 台所を「危険な場所」から「Bさんの居場所」として家族が再認識
5. この事例から学んだこと
この事例で気づかされたのは、「90歳で料理」という目標は、機能的な難しさ以上に、周囲の人々の「思い込み」によって阻まれていたということです。
「もう無理だろう」「危ないから」という周囲の判断が、本人のHOPEの前に先に立ちはだかっていました。療法士の役割は、機能を鍛えることだけでなく、その思い込みを崩すための環境と文脈を作ることでもあります。
特にこの事例で意識した3つのポイント
- 手続き記憶を活かす:認知症があっても、長年積み重ねた料理の「体の知識」は残っている可能性がある。それを引き出す文脈(実際の調理場面)を用意することが鍵
- 「先生役」として機能させる:Bさんが「教わる側」ではなく「教える側」に立てる場面を意図的に作ることで、自己効力感と社会的役割が同時に回復する
- 家族のゴール設定を変える:「転倒させない」から「一緒に料理する」へ。家族のゴールが変わることで、支援の質が根本から変わる
まとめ
- HOPEの背景にある「意味(なぜその作業がしたいのか)」を理解することが、支援設計の出発点になる
- 認知症があっても手続き記憶を活用することで、長年の得意作業は復元できる可能性がある
- 家族・多職種が「その人の能力」に目を向けられるよう、療法士が情報提供・関係調整を担う
- 「先生役」という社会的役割を作り出すことが、自己効力感の回復に直結する
本コラムが、デイサービスでの利用者支援の一助となれば幸いです。ご質問やご意見がございましたら、お気軽にお寄せください。
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