なぜ運動生理学がリハビリの成果を左右するのか?
運動とは、身体の恒常性(ホメオスタシス)を意図的に揺さぶる“良質なストレス”です。立ち上がる、歩く、荷物を持ち上げる——こうした日常動作の一つひとつで、私たちの身体の中では筋・骨格系、心血管系、呼吸器系、神経・内分泌系などが総動員され、複雑な統合調整が行われています。
理学療法士・作業療法士にとって運動生理学は、単なる基礎知識ではありません。安全な負荷設定と機能回復の最大化を両立させ、患者さんに最適なリハビリを提供するための「共通言語」です。本記事では、臨床に直結する視点で、身体の応答と適応のメカニズムを解き明かしていきます。
この記事でわかること
- 運動中、患者さんの身体に何が起きているか(急性応答)
- トレーニングで身体がどう変わっていくか(慢性適応)
- 「疲れ」の正体と臨床での管理方法(疲労)
- 気温や湿度がリハビリに与える影響(環境要因)
- これらの知識を統合し、臨床成果を高める視点(INCET®)
1. 【数秒〜数時間で何が起こるか】臨床で見るべき身体のサイン:急性応答
運動を開始した瞬間から、身体はダイナミックに変化します。これらの変化は、患者さんが訴える主観的運動強度(RPE)や息切れ、痛みとして表出され、セッション中の安全管理(心拍数、血圧、SpO₂、症状の確認)に直結します。
- 心血管系:交感神経が優位になり、心拍数(HR)・一回拍出量(SV)が増加。結果として心拍出量(Q)が上昇し、活動筋へ酸素を届けます。
- 呼吸器系:分時換気量(V̇E)を増やしてガス交換を促進。酸素の供給は、心臓のポンプ機能から末梢での取り込みまで、酸素輸送連鎖全体(Fickの原理: $ \dot V\!O_2 = Q \times (C_aO_2 – C_vO_2) $)の効率性に依存します。
- 筋・代謝系:必要なエネルギー(ATP)を供給するため、ATP-CP系・解糖系・酸化系が運動強度と時間に応じて協調して働きます。
- 体温調節系:皮膚血流と発汗を増やし、体温上昇を抑えるための放熱が起こります。
- 内分泌系:血糖値を維持するため、インスリンが低下し、カテコラミンやグルカゴンが上昇します。
臨床でのポイント
これらの応答を理解することで、「なぜ心疾患のある患者さんでは、ウォームアップが重要なのか」「なぜ糖尿病患者さんの運動タイミングに配慮が必要なのか」といった臨床判断に、明確な根拠を持つことができます。
2. 【数週〜数か月で何が育つか】リハビリ効果の根拠:慢性適応
反復的な運動刺激は、身体に構造的・機能的な変化をもたらします。これが「トレーニング効果」の正体です。この適応は、特異性・過負荷・漸進性の3原則に従って引き起こされます。
- 心血管系の適応:スポーツ心臓(心筋肥大)、血漿量の増加、活動筋への毛細血管の増加。
- 筋・代謝系の適応:ミトコンドリアの数と機能の向上、筋線維の機能的変化(速筋・遅筋)、糖質よりも脂質を効率よく使える能力(代謝柔軟性)の向上。
これらの結果、最大酸素摂取量(V̇O₂max)や筋力・パワーが向上し、同じ運動でもより低い生理的負担で楽に遂行できるようになります。臨床では、これが歩行距離の延長、ADL/IADL能力の改善、再発予防、そしてQOLの向上に直結するのです。
3. 【限界はどこで決まるか】「疲労」を科学し、介入に活かす
「もうこれ以上動けない」という疲労は、単にエネルギーが枯渇した(筋グリコーゲンの枯渇)だけが原因ではありません。乳酸もかつては疲労物質とされていましたが、現在ではエネルギー源として再利用される側面も知られています(正しくは乳酸の蓄積に伴う水素イオンH⁺の増加が筋収縮を阻害します)。
疲労は、以下の2つの側面から捉えることが重要です。
- 末梢性疲労:筋肉そのものや、神経から筋への指令伝達部位の疲労。
- 中枢性疲労:脳や脊髄などの中枢神経系における疲労。「やる気」の低下や、筋肉への指令(運動ドライブ)の減少が起こります。
臨床でのポイント
患者さんの「疲れた」という訴えが、末梢と中枢のどちらに起因するかを考えることで、アプローチが変わります。適切なペース配分や休憩の指示、栄養補給のアドバイス、そして時には「もう少し頑張れる」という声かけ(動機づけ)も、疲労を管理しトレーニング効果を最大化する鍵となります。
4. 【同じ運動でも負担は変わる】見落とせない環境要因
リハビリ室や在宅など、運動を行う環境は常に一定ではありません。暑熱・寒冷・高地(低酸素)・湿度といった環境要因は、同じ運動を行っても身体への負担を大きく変化させます。
- 暑熱環境:体温を下げるために皮膚への血流が増える分、活動筋への血流が減少しがちです。心拍数が通常より高くなる「心拍数ドリフト」が起こりやすく、脱水や電解質異常のリスクが高まります。特に高齢者や心疾患患者さんには注意が必要です。
- 寒冷環境:末梢血管が収縮し、筋温が低下することで筋出力が落ちやすくなります。また、血圧が上昇しやすく、心血管イベントのリスクも考慮すべきです。
- 高地(低酸素)環境:標高が高い場所では、動脈血酸素飽和度(SpO₂)の低下がパフォーマンスの最も大きな制約となります。
臨床でのポイント
PT/OTは、運動プログラムだけでなく、室温や湿度の管理、適切な服装のアドバイス、水分補給の徹底など、環境設定を含めた包括的な視点を持つことが求められます。
5. 【統合的視点】INCET®で捉える知覚-予測-行為のループ
従来の運動生理学に加え、私たちは運動を「感覚入力と脳の予測に基づいた行為」のサイクルとして捉えるINCET®(統合的神経認知運動療法)の視点を重視しています。
脳は、過去の経験から作られた内部モデル(予測)を使い、「この運動なら、これくらいの心拍数と呼吸になるはずだ」と身体を先回りして調整します。しかし、実際の身体からの感覚(心拍、呼吸困難感、痛みなどの内受容信号)がその予測と大きくズレると(予測誤差)、脳はそれを危険信号と判断し、努力感の増大や不安、痛み回避行動として表出させます。
私たちの介入は、この予測誤差を安全な範囲で繰り返し体験させ、最小化していくプロセスです。
- 介入例:タスクの条件(速度・荷重)を調整するだけでなく、視線の使い方、足裏からの感覚入力、呼吸のテンポなどを工夫し、患者さんの「これならできそう」という予測と実際の運動負荷が一致するようサポートします。
この視点を取り入れることで、疼痛や不安が強い方、心肺機能が著しく低下している方に対しても、運動の自動化と疲労耐性の向上を、より安全かつ効果的に促すことが可能になります。
あなたの臨床を次のステージへ導く「INCET®コンセプト」とは?
本稿でご紹介したINCET®(統合的神経認知運動療法)は、ICFとBPSモデルを基盤に、「身体・脳・環境」の相互作用を統合的に捉えるための臨床思考フレームワークです。
患者様の「こうなりたい」という希望(HOPE)から逆算し、構造・神経・環境・発達・心理認知という5つの視点で多角的に分析。徒手療法から認知行動的なアプローチまでを体系的に組み合わせることで、神経の回復力と行動の変化を最大化します。
この思考法は、新人からベテランまで、誰もが明日からの臨床をアップデートできる実践的なツールです。アプローチの引き出しを増やし、他の療法士と差をつけたい先生は、ぜひ詳細をご確認ください。