「先生、動かすのが怖いんです…」
痛みを抱えた患者さんから、こう言われた経験はありませんか?私たちリハビリ専門職が「この動きは改善に必要だ」と確信していても、ご本人が“恐怖”を感じていれば、そのアプローチはうまくいきません。
では、どうすれば患者さん自身に「動いても大丈夫」という“実感”を得てもらえるのでしょうか?この記事では、単に身体を動かすだけでなく、痛みの理解と認知の変化を促すための科学的アプローチを解説します。
なぜ「動く=怖い」になってしまうのか?痛みの背景にある“意味”
「動いたら、また悪化するんじゃないか」「軟骨がすり減っているから…」「神経が触る感じがする」
こうした患者さんの言葉には、「動く=組織の損傷を広げる」という強力な“意味づけ”が隠されています。近年の研究では、痛みは単なる感覚ではなく、文脈に依存した脳の出力(context-sensitive output)であることがわかっています。
つまり、実際の組織損傷の有無にかかわらず、「これは危険だ」という脳の予測が痛みの強さを左右するのです(予測符号化理論)。“怖い”という認知があるだけで、脳は運動を「痛み」として出力しやすくなってしまいます。
“説明”より“体験”で変える「行動実験」アプローチ
この根強い認知を変える鍵は、「言葉での説明」よりも「動いても痛くなかった」という成功体験です。そのために有効なのが「行動実験」と呼ばれるアプローチです。
これは、患者さんの「この動きは痛いはずだ」という思い込み(信念)を、実際に安全な範囲で動いてもらうことで再評価してもらう介入手法です。
例えば、腰を前に曲げると痛いと訴える患者さんに対し、「仰向けに寝て、両膝を胸に近づける」といった重力の影響が少ない肢位で同様の動きを試します。その上で、「今の動き、どうでしたか?」と問いかけます。
ここで「あれ?意外と痛くなかった」という予測とのギャップ(予測誤差)が生まれれば、それが脳の学習を促し、運動に対する安全な記憶を再構築する第一歩となります。
運動の目的は“筋出力”ではなく“自己効力感”の再構築
「動かすのが怖い」と感じている患者さんに必要なのは、筋力増強それ自体よりも、「自分で動いてみて大丈夫だった」という体験から得られる自己効力感(self-efficacy)です。
実際に、慢性疼痛患者における運動療法の効果は、筋力や柔軟性の改善よりも、「認知・情動・神経生理学的な適応」といった中枢神経系の変化によってもたらされる、という仮説も提唱されています(Steiger et al. 2012)。
つまり、「運動で身体が良くなるから痛みが減る」だけでなく、「運動によって“自分でも動ける”と思えたことが、痛みの意味を変える」というプロセスが極めて重要なのです。
「触れる」ことの科学:CT線維がもたらす“安全”のサイン
患者さんに「動いても大丈夫」と実感してもらうには、“安心できる文脈”作りが不可欠です。その強力なツールが、触覚による情動的なアプローチです。
私たちの皮膚には、CT線維という特殊な神経が存在します。この神経は、秒速1〜10cmの速さで優しく撫でるような“心地よいタッチ”に特異的に反応し、安心感や信頼感に関わるオキシトシンの分泌を促すことが示唆されています(McGlone et al. 2014)。
徒手療法を単なる筋膜リリースやストレッチとして行うだけでなく、「ここは安全な場所だよ」というメッセージを伝える“情動的タッチ”として活用することで、患者さんの過剰な防御反応を和らげ、動きやすい土台を作ることができます。
患者の“物語”を書き換えるナラティブアプローチ
痛みは、常に「どんな状況で、どんな動作をすると、なぜ痛いのか」という、その人だけの“物語(ナラティブ)”の中に存在します。もしその物語が「動く=悪化」という筋書きなら、リハビリの目標は新しい物語を患者さんと共に創り上げることです。
- どんな時に不安になりますか?
- どんな動作を一番避けていますか?
- 本当は、どんな風に動けるようになりたいですか?
こうした対話を通して、患者さんが自身の痛みにどのような“意味”を与えているのかを探ります。このプロセスこそが、恐怖を乗り越え、行動変容を促す「痛みの再学習」の核心です。
まとめ:「動ける自信」を取り戻すための3つの鍵
「動かすのが怖い」という患者さんの認知を変え、「動いても大丈夫」という実感を育むためには、以下の3つの柱が重要になります。
- 安全な文脈の提供
安心できる関係性、環境、そして心地よい触覚を通じて「ここは安全だ」というメッセージを伝える。 - 予測の再構築
行動実験などを通じて「痛いと思っていたけど、意外と大丈夫だった」という良い意味での“予測誤差”を生み出す。 - 成功体験の積み重ね
スモールステップで「できた!」という体験を積み重ね、失われた自己効力感を再構築する。
この3つの要素を意識した介入は、単なる“動作練習”を超え、“痛みの意味を書き換える”というリハビリテーションの本質へと繋がります。
「怖いけど、やってみたら大丈夫だった」
患者さんからこの一言が引き出せたとき、脳の中では新しい神経ネットワークが確かに構築され始めています。それこそが、「動ける自分」を取り戻すための、最も確実な一歩なのです。
参考文献
- Steiger, F., Wirth, B., de Bruin, E. D., & Mannion, A. F. (2012). Is a positive clinical outcome after exercise therapy for chronic non-specific low back pain contingent upon a corresponding improvement in the targeted aspect(s) of performance? European Spine Journal, 21(4), 575–598.
- McGlone, F., Wessberg, J., & Olausson, H. (2014). Discriminative and affective touch: Sensing and feeling. Neuron, 82(4), 737–755.
- Walker, S. C., Trotter, P. D., Swaney, W. T., Marshall, A., & McGlone, F. P. (2017). C-tactile afferents: Cutaneous mediators of oxytocin release? Neuroscience & Biobehavioral Reviews, 72, 1–10.
- Moseley, G. L., et al. (2024). Teaching patients about pain: The emergence of pain science education, its learning frameworks and delivery strategies. The Journal of Pain, 25(5), 563–577.
- Linton, S. J. (2013). A transdiagnostic approach to pain and emotion. Journal of Applied Biobehavioral Research, 18(2), 82–103.
- Lersch, F. E., Ferentzi, E., & Wasner, G. (2023). Analgesia for the Bayesian brain: How predictive coding offers insights into the subjectivity of pain. Current Pain and Headache Reports, 27(7), 631–638.
- Ehde, D. M., Dillworth, T. M., & Turner, J. A. (2014). Cognitive-behavioral therapy for individuals with chronic pain: Efficacy, innovations, and directions for research. American Psychologist, 69(2), 153–166.
- Gatzounis, R., Traxler, J., & Vlaeyen, J. W. S. (2021). Optimizing long-term outcomes of exposure for chronic primary pain from the lens of learning theory. The Journal of Pain, 22(11), 1314–1323.
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