こんにちは、理学療法士の大塚久です。
前回の記事では、臨床を「球(全体・HOPE)→ベクトル(動作)→スカラー(要素)」という順序で捉える重要性についてお話ししました。
>>>「可動域もあり、筋力もある。でも歩けない」 〜数学的思考で紐解く基本的な臨床推論の型〜
「視点が変わった」「迷いが消えた」という反響を多数いただき、ありがとうございます。
さて、今日はその「続編」です。
前回は「空間(身体)」の話をしましたが、今日は「時間」の話をします。
もし、あなたの臨床がうまくいかない原因が、
「時間は過去から未来へ一直線に流れている」という固定観念にあるとしたらどうしますか?
今日は、最新の「予測的符号化(Predictive Coding)」や「恐怖回避モデル」といった脳科学の知見をベースに、少し哲学的な——しかし臨床で強力な武器になる「時間の球体論」という思考モデルをお伝えします。
この記事の結論(3行まとめ)
- 脳は過去の記憶から「未来の痛み」を予測し、その予測自体が現実の痛みを作り出す。
- 「原因(過去)」を探すのではなく、「理想の未来」を示すことで脳の予測モデルを書き換える。
- 治療とは、患者の悪い予測を裏切る「良い予測誤差(サプライズ)」を与えることである。
多くの療法士が陥る「直線的な時間」の罠
僕たちは学校で、こう習いました。
- 過去(受傷・疾患) があるから、
- 現在(痛み・機能障害) があり、
- 未来(予後) が決まる。
これを「直線的時間(リニア)」と呼びます。
「原因(過去)」がなければ「結果(現在)」は起きない、という因果律です。
だから私たちは必死になって「過去」を探します。
「なぜ痛くなったのか?」「どこで壊れたのか?」
しかし、結果を出せる療法士は、この順序を逆に利用しています。
「未来(予測)」を使って「現在(身体)」を変化させています。
脳は「未来」を先に見ている
ここで、ちょっとだけ科学の話をします。
最新の神経科学では、脳は外界の情報をそのまま受け取っている受動的な器官ではないことがわかっています。
「予測的符号化(Predictive Coding)」という理論をご存知でしょうか?
脳は、過去の記憶を元に常に「次はこうなるはずだ」という予測(未来のモデル)を生成し、実際の感覚入力とのズレ(誤差)だけを処理しています。
痛みは「未来への予感」で作られる
これを臨床に当てはめると、痛みの正体が見えてきます。
例えば、慢性疼痛の患者さんを考えてみましょう。
「恐怖回避思考モデル(Fear-Avoidance Model)」でも示されている通り、彼らの脳内では「動くと痛いだろう」という強力な「未来の予測」が働いています。
この「予感」や「恐怖」自体が、実際に筋肉を過剰に緊張させ、交感神経を高ぶらせ、本当に「痛いという現実(現在)」を作り出してしまうのです。
つまり、今のその痛みを作っているのは、「過去の古傷」だけではありません。
「また痛むはずだ」という「未来への悪い予測」が、痛みを増幅させているのです。
思考モデルとしての「時間の球体論」
ここで、一つの考え方として聞いてください。
物理的には時間は直線かもしれませんが、
臨床における患者さんの「主観的な時間」は、まるで「球体」のように存在していると考えてみましょう。
球体の中心に「患者さん」がいます。
そこでは、「過去の記憶(トラウマ)」も、「現在の感覚」も、「未来への予感(期待や不安)」も、すべてが同時に脳内で処理され、互いに影響し合っています。
「未来」が変われば「過去」の意味が変わる
この「球体」の視点に立つと、アプローチが根本的に変わります。
- 従来の思考(直線):
「過去の怪我(原因)を治せば、未来は良くなるはずだ」
→ これは「修理」です。 - 新しい思考(球体・逆算):
「良くなっている未来(HOPE)」を脳にイメージする。
→ 脳の予測モデルが変わる。
「目標志向型(Goal-directed)」のアプローチが有効なのは、まさにこのためです。
明確なHOPE(未来)を持ち、「自分は動ける」という確信が生まれた瞬間、脳は「動ける自分」に合わせて身体の緊張(現在)を調節します。
さらに不思議なことに、今の痛みが消え、自信を持って動けるようになると、患者さんはこう言います。
「腰が痛くなってよかったです」
物理的な過去は変えられません。
しかし、現在の脳の状態が変わることで、過去の記憶への「意味づけ」や「感情的な重み」は、事後的に書き換わるのです。
治療とは「良い裏切り(予測誤差)」を作ること
僕が臨床で意識しているのは、単に患部をリラクゼーションすることではありません。
患者さんの脳内にある「悪い予測(動くと痛い)」と「実際の体験(痛くない)」の間に、ギャップを作ることです。
予測的符号化理論において、脳が自分のモデル(思い込み)を修正するのは、予測と現実にズレが生じた時——つまり「予測誤差(Prediction Error)」が発生した時だけです。
だからこそ、僕は「痛くないですか?」とは聞きません。
それは脳に「痛みの記憶(過去)」を再確認させるだけだからです。
そうではなく、「あ、今すごくスムーズに動けましたね!」と、できた事実(新しい未来の兆し)を強調します。
療活のセミナーに参加したことがある方はちょっと思い出してみてください。
僕が動作の評価をしている時、対象者の主観を聞くときにどんな聞き方をしていましたか?
「脳の書き換えスイッチ」を入れる
患者さんは「痛いと予測していたのに、痛くなかった!」という体験をします。
この「良い意味での予測誤差(サプライズ)」こそが、脳の書き換えスイッチになります。
「動くと痛い」という古い予測モデルが、「動いても大丈夫だ」という新しいモデルに更新される瞬間です。
これを意図的に起こすことが、「良い裏切り」による治療なのです。
あなたは「修理屋」か? 「本物の療法士」か?
前回の「ベクトル・スカラー」の話と合わせると、こうなります。
- 球(HOPE・未来):
まず、HOPE(ゴール)を共有し、脳の「予測」をセットする。 - ベクトル(動作・現在):
その予測を実現するための動きを引き出し、「良い予測誤差」を体験させる。 - スカラー(要素・過去):
すると、邪魔していた硬さや筋力低下といった要素は、脳からの指令が変わることで変化しやすくなる。
これからの時代に求められるのは、部品を直すだけの「修理屋」ではありません。
脳科学的な裏付けを持ちながら、患者さんの「予測(未来)」と「物語(過去)」を含めた全体(球)を整える、本来の意味での「療法士(Therapist)」としての視点です。
まとめ
- 脳は常に「予測」しており、その「未来への予測」が「現在の身体」を作っている(予測的符号化)。
- 治療の鍵は、患者さんの「悪い予測」を裏切る「良い予測誤差(サプライズ)」を与えることにある。
- 「悪いところ(過去)」を探すのではなく、「あるべき姿(未来)」に焦点を合わせることで、脳のシステムを味方につけることができる。
もし、あなたが「原因探し」の迷路で悩んでいたら、一度立ち止まって「時間の流れ」を逆にしてみてください。
「どうすれば動くか?」ではなく、「動けるようになった世界(未来)では、この人はどう活動しているか?」
そのイメージ(球)を持ったまま、患者さんに触れてみてください。
きっと、指先から得ようとしている情報の質が変わるはずです。
「予測」をコントロールする感覚を磨きたいあなたへ
この「球体」の感覚や、脳の予測へ働きかける触れ方は、文章だけで伝えるのには限界があります。
実際に手を動かし、感覚を共有する中でしか伝わらない「行間」があるからです。
もし、あなたが「理屈はわかったけど、手がついていかない」「その『感覚』を実感したい」と思うなら、ぜひ一度、療活の講習会に来てください。
あなたの手が、単なる「患部を触る手」から、患者さんの脳と未来に働きかける「療法士の手」に変わるきっかけを提供します。







