「患者さんの訴える痛みが、どうしても画像所見と一致しない…」
理学療法士・作業療法士であれば、誰もが一度は直面するこの臨床的な壁。この”ズレ”は、いったいなぜ生じるのでしょうか。
その問いを解き明かす鍵が、ニューロマトリックス理論と大規模脳内ネットワーク(DMN・SN・CEN)の理解にあります。本記事では、痛みを脳科学の視点から捉え直し、明日からの臨床に活かすための知識を解説します。
ニューロマトリックス理論:痛みは末梢からの信号ではなく「脳の出力」である
1990年代にMelzackによって提唱されたニューロマトリックス理論は、私たちの痛みに対する理解を根底から覆す画期的な概念です。この理論の核心は、「痛みとは、末梢からの感覚入力に比例して生じる単純な反応ではない」という点にあります。
むしろ、痛みは脳内に広がる神経ネットワーク(body–self neuromatrix)からの「出力」によって生成される体験だと考えられています。
このネットワークには、視床・大脳皮質・辺縁系・脳幹などが含まれます。身体からの感覚情報だけでなく、認知・情動・過去の記憶・社会的文脈といったあらゆる情報が統合され、「神経署名(neurosignature)」として、私たち一人ひとりのユニークな痛みの体験が出力されるのです。
ここで最も重要なのは、末梢の組織損傷や炎症は痛みの「引き金」の一つに過ぎず、それ自体が痛みの質や強さを決定づけるわけではないということです。
この理論は、「なぜ構造的な損傷と痛みの訴えが一致しないのか?」という臨床上の大きな疑問に対して、神経生理学的な強力な説明を与えてくれます。
大規模脳内ネットワークの役割:痛みを「意味づける」脳のダイナミクス
近年の脳機能イメージング研究の発展により、脳は特定の部位が単独で機能するのではなく、複数の領域が協調して働く「ネットワーク」として活動していることが明らかになってきました。
痛みの生成と維持にも、この大規模脳内ネットワーク(Large-scale Brain Networks)が深く関与していることが分かっています。特に重要なのが、以下の3つのネットワークです。
1. DMN (Default Mode Network):自己と痛みを結びつけるネットワーク
- 主な構成領域:内側前頭前野、後部帯状回、海馬など
- 主な機能:内省、過去の記憶の想起、自己認識、未来の想像
- 痛みとの関連:慢性疼痛の患者さんでは、DMNの活動異常や、侵害受容の情報を処理する脳領域との接続性の増加が報告されています。これにより、痛みが「自分自身の問題」として強く意味づけられ、痛みへのとらわれが生じると考えられています。
2. SN (Salience Network):痛みに注意を向けるネットワーク
- 主な構成領域:前部島皮質、前部帯状回など
- 主な機能:内外からの刺激の重要性を評価し、注意を割り振る
- 痛みとの関連:「この痛みは危険だ!注意を向けるべきだ」と判断する、脳の警報システムのような役割を担います。SNの過活動は、痛みに対する過剰な注意や、恐怖・不安といった情動反応と密接に関連します。
3. CEN (Central Executive Network):痛みから注意をそらすネットワーク
- 主な構成領域:背外側前頭前野、頭頂葉など
- 主な機能:課題の計画・実行、ワーキングメモリ、意思決定、感情の再評価
- 痛みとの関連:痛みに対して「これは大したことない」と認知的に再評価したり、仕事や趣味など他の課題に集中することで痛みから注意をそらす(気をそらす)戦略は、このCENの働きによるものと考えられます。
これらのネットワークは互いに影響を与え合っています。例えば、SNが痛み刺激の“重要性”を高く評価すると、DMNとの接続が強まり、自己内省的な注意が痛みに向きやすくなります。
一方で、CENを活性化させ、目の前の課題に集中することで、SNやDMNの活動を抑制し、痛みから意識を遠ざけることができるのです。
明日からの臨床が変わる!痛みを「再構成」する介入への応用
これらの脳科学的な理論は、決して机上の空論ではありません。むしろ、私たちの臨床にこそ直結する重要な視点を提供してくれます。
- 患者教育(ペインリテラシーの向上):「構造の異常=痛み」という固定観念から患者さんを解放し、「痛み=脳が生み出す警報システム」であることを伝える。この理解 자체가、痛みの脅威度を下げ、SNの過活動を鎮める第一歩になります。
- 認知行動的アプローチの神経科学的裏付け:認知的再評価、注意の転換、マインドフルネス、段階的活動暴露といった介入が、なぜ有効なのか。それは、SNとDMNの過剰な活動を抑制し、CENを賦活することで、脳のネットワークバランスを「再構成」しているからだと説明できます。
実際の臨床場面を想像してみてください。慢性腰痛の患者さんに対し、「腰の骨には大きな異常はありません。でも痛みがあるのは、脳がまだ腰を『危険な場所』だと判断して、守ろうとしすぎているのかもしれませんね」と伝えること。それだけで、患者さんの表情が和らぎ、治療への新たな動機づけが生まれることがあります。
まとめ:痛みを「構造」から解き放ち、「物語」を読み解く専門家へ
ニューロマトリックス理論と大規模脳内ネットワークの理解は、私たちリハビリテーション専門職の視点を、痛みを単なる「構造の異常」と結びつける旧来の生物医学的モデルから、より多次元的で脳を中心とした生物心理社会的(BPS)モデルへと大きくシフトさせます。
この視点を持つことで、私たちは単なる筋骨格系の評価者にとどまらず、患者さん一人ひとりの「痛みの物語」を脳科学の言葉で読み解き、その物語をより良い方向へ書き換える手助けをする専門家としての役割を確立できるはずです。
「この痛みをどうやって減らすか?」という問いだけでなく、「なぜ、この人の脳は痛みを出力し続けているのか?」という根本的な問いに答える力を身につけること。それこそが、これからの疼痛リハビリテーションの核となるでしょう。
参考文献
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