こんにちは、理学療法士の大塚です。
先日セミナー中に、受講生からこんな質問を受けました。
「職場の先輩方は、局所の評価をしてから介入してほしいと言います。でも他の先生は、“全体から見て”と言います。どちらが正しいんでしょうか?」
これは、多くの若手療法士が一度は悩む問いです。
現場では「局所的に(細かく)評価できる=できる療法士」と見なされがちな一方で、
いざ「全体を見ろ」と言われると、どこから手をつけていいかわからなくなる。
大塚の経験談
僕自身も臨床実習の時に「全体を見るんだよ」と言われ、どこから見ていいか分からず、「(とりあえず)歩けています」とバイザーに伝えて、「もっと細かくみるんだよ」と指導を受けた苦い経験があります。
そんなジレンマに立つ若手療法士ほど、「正しい評価法はどっちなのか」という“正解”を探してしまいます。
しかし、臨床を重ねていくと、この問い自体が少し違うことに気づきます。
“どちらが正しいか”ではなく、“どちらから見るか(どう往復するか)”が大切なのです。
1.局所評価と全体評価は「対立」ではなく「往復」するもの
局所評価は、構造的に何が起きているか(問題点)を理解するために必要です。
一方、全体評価は、その構造がどういう文脈の中で破綻したか(原因)を理解するために必要です。
- 局所は「結果(問題点)」を見るもの。
- 全体は「原因(背景)」を探すもの。
どちらか一方では、臨床は片手落ちになります。
たとえるなら、局所評価は「問題点の把握」、全体評価は「原因の把握」です。
問題だけ見ていても目的地(=根本解決)にたどり着けず、原因だけ見ていても細部(=介入点)がわからない。
両方を往復する中で、初めて「その人の動きの全体像」が見えてくるのです。
2.理学療法士は「診断する人」ではなく「動きの変化を創る人」
ここで、もうひとつ大切な前提があります。
私たちは医師のように病名をつける立場ではありません。
私たちが扱うのは、“診断”ではなく、“変化”です。
どの組織が壊れているかを言い当てることではなく、どんな動きで、どうすれば変化が起こるかを探すこと。
たとえば、「肩の内旋で後方に痛みが出る」という現象があったとします。
この時、棘下筋か、小円筋か、関節包か——
どれかを“正確に特定すること”は、理学療法士の最終ゴールではありません。
それよりも重要なのは、
「内旋方向に制限があり、後方で痛みが出る」という現象をそのまま捉え、
「その方向の滑走性を変化させたら、どう動きが変わるか」を見ることです。
私たちの評価は、「正解探し」ではなく「より良い動きに変化させるための仮説」なのです。
3.評価とは「仮説」と「変化」の往復運動
リハビリの評価(臨床推論)を簡単に表すと、こうなります。
評価 → 仮説を立てる → 介入 → 変化をみる(再評価) → 再仮説
このサイクルを繰り返すことこそが、本当の意味での「評価」です。
臨床とは、ひとつの仮説に固執することではなく、仮説と変化を往復し続ける思考の運動です。
たとえば、
「内旋方向で詰まり感があるから、後方滑走を助けてみよう(仮説)」
→ 変化があれば、仮説が妥当。
→ 変化がなければ、別の要因(姿勢・呼吸・胸郭など、視点を変える)を再検討。
この柔軟な思考こそが、臨床力の本質です。
4.“組織を特定する評価”の限界
学生時代に叩き込まれた「構造の正確さ」は大切です。
しかし、実際の現場ではこんな違和感を覚える瞬間があるはずです。
「ここが棘下筋だと思ってアプローチしても、変化しない」
「なのに、呼吸や姿勢を整えると(全体を変えると)動きが変わる」
これは、構造的には同じでも、機能的には別の次元で問題が起きているからです。
療法士が触れられるのは、「組織」そのものではなく、その組織が生み出す「機能的な動き」です。
だからこそ、「組織を特定する」ことより、「その組織がどんな動きの中でどう働いているか」を見る。
これが本来の評価の深さです。
>>>Assessmentコース
5.「動きを変える」ことにこそ、価値がある
臨床で本当に大切なのは、動きを変えられるかどうかです。
- 痛みを減らすことよりも、動けるようにすること。
- 組織を特定することより、動きの変化を引き出すこと。
- 「できない」から「できた」に変えること。
この変化の瞬間に、患者さんの表情や姿勢が一気に変わります。
それは、構造を超えて「生きる感覚」が戻る瞬間です。
つまり、療法士は“治す人”ではなく、“再び動きを出す人”。
身体を再教育し、行動を再設計する専門家なのです。
6.「わからない」と言えることが、プロの始まり
若手のうちは、「正解を言わなきゃ」と気負いがちです。
でも、臨床で本当に大切なのは、「わからない」と言える誠実さです。
- わからないから、観察する。
- わからないから、動かしてみる。
- わからないから、仮説を立てる。
そこに、療法士としての探究が始まります。
「組織を特定しない」というのは、曖昧にすることではなく、誠実に観察することです。
そして、その誠実さが、臨床の自由を生みます。
7.おわりに:臨床の自由は、「変化」を信じるところから始まる
「局所を見るべきか、全体を見るべきか」という問いは、
実は“どちらが正しいか”ではなく、
“どうすれば変化を生み出せるか”という問いに置き換わります。
変化が起これば、それが答えです。
そして、変化を見逃さない観察眼こそが、臨床家の力です。
組織を特定できなくてもいい。
わからないまま動かしてみる。
その中に、人間の身体の本当の豊かさがある。
評価とは「当てること」ではなく、「動きを通して、人を理解すること」。
それが、療法士として生きる“臨床の自由”だと僕は考えています。
この記事で解説した「組織を特定せず、動きの変化を捉える」ための具体的な触診・介入方法に興味がある方は、こちらのセミナーもご覧ください。








