こんにちは、理学療法士の赤羽です。
「痛みの原因は組織の損傷です」——臨床でこう説明することは多いのではないでしょうか。
もちろん、組織の損傷は痛みの重要な出発点です。しかし、同じように膝を痛めた患者さんでも、ある人は日常生活が送れるほど回復し、別の人は慢性的な痛みに苦しむ——こうした違いを、組織の損傷だけで説明できるでしょうか?
今回は、「痛みは組織の損傷だけで決まらない」というペインサイエンスの視点から、BPSモデル(生物心理社会モデル)を臨床推論にどう活かすかを考えてみたいと思います。
この記事の結論(3行まとめ)
- 痛みの出発点は組織の損傷であることが多いが、「痛い」と判断するのは脳であり、その判断にはこれまでの経験・文脈・心理社会的要因が深く関与している。
- BPSモデル(生物心理社会モデル)は、痛みを「生物学的・心理的・社会的」の3軸で捉えることで、組織の損傷だけでは説明しきれない痛みの全体像を理解するための枠組みである。
- 臨床では「どこが痛いか」だけでなく、「なぜその人がこの状態を痛いと判断しているのか」を問うことが、HOPEの達成と活動性向上につながる。
痛みの出発点:組織の損傷
痛みのほとんどは、組織に何らかのダメージや刺激が加わることから始まります。転倒して膝を打った、腰に過剰な負荷がかかったなど、侵害受容器(nociceptor)への入力が痛みの入口となることが多いのは確かです。
しかし、ここで重要な問いが生まれます。
「組織にダメージがあれば、必ず痛みが生じるのか?」
答えはNOです。Brinjikji Wらの研究(2015)では、無症候性の人でも画像上の脊椎変性は年齢とともに高頻度に見られ、画像所見と痛みは必ずしも一致しないことが示されています。組織の状態は痛みの「可能性」を高めることはあっても、痛みの有無を決定するわけではないのです。
「痛い」と決めるのは脳である
現代のペインサイエンスでは、痛みは「組織の損傷の程度」ではなく、「脳が出力するアウトプット」として捉えられています。
つまり、侵害受容器からの入力信号が脊髄→脳へと伝達され、脳が「これは危険だ/痛いと感じるべき状況だ」と判断したときに、初めて痛みという体験が生まれます。
そしてその判断の基準は、これまでの経験・記憶・文脈によって形成されています。
子どもが「転んだとき」の学習——痛みの概念はこうして作られる
少し具体的なイメージで考えてみましょう。
小さい子どもが道路で転んで、膝から血が出たとします。そのとき、そばにいたお母さんがどう反応するかで、子どもが「転ぶこと」をどう意味づけるかが変わります。
- 反応①:「痛いね、痛かったね。気をつけなきゃね」
- 反応②:「転んでびっくりしたね。血が出てるから痛いね。大丈夫だよ、血が止まれば痛くなくなるよ」
反応①を受けた子どもは、「転ぶこと=痛いこと」という概念を学びます。
反応②を受けた子どもは、「転んだことはびっくりすること。血が出ているから痛いけど、血が止まれば痛くない」という概念を学びます。
この違いは、大人になってからも脳の「判断の基準」として残り続ける可能性があります。
痛みとは、組織の損傷に対する「脳の解釈」です。その解釈は過去の経験・文脈・意味づけによって形成されており、同じ侵害刺激であっても人によって全く異なる痛み体験が生まれます。これが、痛みを「組織の問題だけ」で捉えることの限界を示しています。
BPSモデル(生物心理社会モデル)とは
こうした痛みの複雑性を整理するための枠組みが、BPSモデル(Bio-Psycho-Social model:生物心理社会モデル)です。
BPSモデルは、痛みや健康状態を以下の3軸で捉えます。
① Biological(生物学的要因)
組織の損傷・炎症・神経感作・筋力低下・可動域制限など、身体の構造・機能に関わる要因です。理学療法士・作業療法士が最も得意とする領域ですが、これだけで痛みの全体像を捉えようとするのには限界があります。
② Psychological(心理的要因)
破局的思考(Pain Catastrophizing)、運動恐怖(Kinesiophobia)、痛みに対する自己効力感の低下、不安・抑うつなど、痛みの体験に影響を与える心理的な要因です。
先ほどの「転ぶこと=痛いこと」という信念は、まさにこの心理的要因のひとつと言えるでしょう。
③ Social(社会的要因)
仕事・家庭・人間関係・経済的ストレス・文化的背景など、その人を取り巻く社会的文脈です。「仕事を休めないから痛みを我慢している」「家族に心配をかけたくない」といった状況も、痛みの体験や行動に大きく影響します。
BPSモデルは「心理・社会的な問題だから理学療法の対象外」という意味ではありません。
むしろ、「生物学的介入だけでは改善しにくい場合、どの軸に問題が偏っているかを考える地図」として活用するものです。
「なぜ痛いと判断しているのか」を考える臨床推論
BPSモデルを実際の臨床推論に落とし込むとき、私が大切にしている問いがあります。
「どこが痛いか」ではなく、「なぜこの人は、この状態を痛いと判断しているのか」
例えば、変形性膝関節症の患者さんが「膝が痛くて歩けない」と訴えていたとします。X線では関節裂隙の狭小化があり、生物学的な変化(Biological)は明らかです。
しかし、詳しく話を聞いていくと、
- 「歩いたら膝がもっと悪くなるのでは」という強い不安がある(Psychological)
- 「家族が過度に心配して、動くことを止める」という環境がある(Social)
この場合、大腿四頭筋の強化だけを実施しても、患者さんの「歩いたら悪化する」という信念が変わらない限り、活動性の向上には限界があると考えられます。
BPSモデルを使った臨床推論とは、この3軸のうちどの軸が最も患者さんのQOLや活動性を妨げているかを見極め、優先的にアプローチすることだと言えます。
リハビリの目的は「HOPEの達成」である
ここで改めて確認しておきたいのは、リハビリテーションの本質的な目的についてです。
慢性疼痛診療ガイドラインでも示されているように、「痛みを0にすること」は目標の一つではあっても、第一目標ではありません。私たち理学療法士・作業療法士の役割は、患者さんのHOPE(望み)を達成し、ADL・QOLを向上させることです。
そのためには、組織の損傷というBiologicalな側面だけを追いかけるのではなく、
- この人は、なぜ今の状態を「痛い」と感じているのか
- その判断に、どんな経験・信念・文脈が影響しているのか
- HOPEの達成を妨げているのは、3軸のどの要因なのか
という視点を持つことが、臨床推論をより豊かにしてくれると考えられます。
BPSモデルを活用することは、「身体的な評価・介入を軽視する」ことではありません。組織レベルの評価(触診・ROM・筋力・特殊テストなど)は依然として重要です。
あくまで「生物学的な要因だけでは説明しきれない部分を補完するための視点」として活用してください。
まとめ
今回の内容をポイント3つにまとめます。
- 痛みの出発点は組織の損傷であることが多いが、「痛い」と判断するのは脳である。その判断は過去の経験・文脈・意味づけに基づいており、同じ侵害刺激でも人によって全く異なる痛み体験が生まれる。
- BPSモデル(生物心理社会モデル)は、痛みを生物学的・心理的・社会的の3軸で捉える枠組みであり、組織の問題だけでは説明しきれない痛みの全体像を整理するための「地図」として活用できる。
- リハビリの目的はHOPEの達成・活動性の向上であり、「どこが痛いか」だけでなく「なぜこの人はこの状態を痛いと判断しているのか」を問う視点が、臨床推論をより深いものにする。
痛みを出している組織の特定は大切です。しかし、それと同時に「この人はなぜ今の状態を痛いと感じているのか」を問い続けること——その視点の積み重ねが、患者さんのHOPEに寄り添うリハビリにつながっていくのではないでしょうか。
本記事が、日々の臨床の一助となれば幸いです。







