「この患者さんの腰痛、なかなか良くならない…」
臨床でそう感じている理学療法士・作業療法士の先生へ。
この記事では、一件の症例報告を通じて、複雑な慢性腰痛をどのように評価し、アプローチしていくべきか、その思考プロセスを具体的に解説します。明日からの臨床ですぐに実践できる評価のポイントが満載です。
はじめに:なぜ慢性腰痛の評価は難しいのか?
慢性腰痛は、単一の原因に収束することは稀であり、組織学的・神経学的・心理社会的な要素が複雑に重なり合って表出します。臨床で重要なのは、「どの要素が痛みの主な原因か」「どの要素が痛みを修飾しているか」を整理し、患者さんの本当の希望であるHOPEに結びつけることです。今回は架空の症例を通じて、その思考過程を具体化します。
症例概要
- 年齢・性別:55歳・男性
- 主訴:腰部中央の鈍痛(NRS 6/10)、時折右臀部に重だるさが出現
- 経過:数年前から徐々に悪化。特にデスクワーク後や朝の起床時に痛みが強い
- HOPE:大好きなゴルフを再開したい、痛みなくデスクワークに集中したい
- 心理社会的背景:「腰はもともと悪いから、これは一生治らない」という破局的思考。痛みを恐れて運動を避ける傾向(恐怖回避思考)あり
評価のポイント:3つの側面から痛みを紐解く
この症例の痛みを、侵害受容性・痛覚変調性・心理社会的の3つの側面から評価します。
1. 侵害受容性疼痛の要素(組織の痛み)
- 椎間板性の可能性:前屈や長時間の座位で痛みが増悪する点、痛みが腰部中央に限局している点から示唆されます。
- 仙腸関節性の可能性:Kurosawaら(2017)のSIJスコアが6/9点と陽性(カットオフ値は4点)。片脚荷重で右臀部の症状が再現されることからも、仙腸関節の関与が強く疑われます。
- 筋・筋膜性の可能性:脊柱起立筋の圧痛と過緊張、中殿筋・大殿筋の筋力低下がみられます。ただし、これらは二次的な反応である可能性も考慮します。
2. 痛覚変調性疼痛の要素(痛みの感じやすさ)
- Central Sensitization Inventory (CSI):スコアは32点。男性のカットオフ値25点(Schuttert I, 2023)を超えており、中枢性感作の関与が示唆されます。(参考カットオフ値:Randy Neblett, 2013では40点)
- 睡眠障害:夜中に目が覚める(中途覚醒)とのこと。睡眠の質の低下は、痛みの感受性を増強させる確立した因子です。
3. 心理社会的要因(Yellow flag)
- 認知の歪み:「加齢だから仕方ない」「腰は悪いものだ」といったネガティブな思い込み。
- 恐怖回避思考:ゴルフを再開したい気持ちと、「また痛めたらどうしよう」という再発への恐怖との間でジレンマを抱えています。
- 負のスパイラル:痛みを恐れて運動を避けることで、さらなる身体機能の低下を招くという悪循環に陥っています。
鑑別仮説の整理
ここまでの評価を基に、各要因の関与度を整理します。
仮説 | 支持する所見 | 反証する(弱い)所見 |
---|---|---|
仙腸関節性(主体) | SIJスコア6/9点、片脚荷重で症状再現 | 広範な関連痛はなし |
椎間板性(修飾) | 座位・屈曲で増悪、中央限局痛 | 明らかな下肢への放散痛なし |
痛覚変調性(補強) | CSI高値、睡眠障害、不安 | アロディニアなどの著明な所見はなし |
心理社会的(助長) | 恐怖回避思考、破局的思考 | セラピストとの信頼関係構築で修正可能 |
筋・筋膜性(結果) | 圧痛・筋緊張、殿筋の筋力低下 | 二次的要因の可能性が高い |
臨床応用ポイント:5つの介入戦略
上記の評価に基づき、多角的なアプローチを計画します。
1. 末梢要因へのアプローチ(組織への介入)
- 仙腸関節モビライゼーションによる関節機能の改善
- マッケンジー法などを用い、症状が楽になる方向(方向性嗜好)を見つけ、自己管理運動として処方
- 筋膜リリースや、ゴルフ動作に必要な股関節の動きを促すタスク指向型トレーニング
2. 支持性の改善
- 中殿筋・大殿筋を中心とした股関節周囲筋の選択的な強化
- 腹横筋や多裂筋など、体幹のインナーマッスルを賦活化する安定化エクササイズ
3. 心理社会的介入
- Pain Science Education (PSE):「痛みは身体の危険信号だが、必ずしも組織の損傷度とは一致しない」という現代的な痛みの知識を提供し、過剰な不安を軽減
- 段階的暴露療法 (Graded Exposure):まずは軽いゴルフの素振りから始め、痛みなく行えることを確認。少しずつ負荷を上げていくことで、「動いても大丈夫」という成功体験を積み重ね、自信を取り戻す
4. 生活習慣の調整
- 睡眠衛生指導:就寝・起床時刻の固定化、寝る前のスマホ操作を控えるなどのアドバイス
- デスク環境の最適化:20~30分に一度は立ち上がって軽く動く習慣(マイクロブレイク)の導入、ランバーサポートの活用
- 寝返り動作など、起床時の痛みを軽減するための動作指導
5. HOPEの実現に向けて
- ゴルフの動きを分析し、段階的に動作を導入(例:素振り→アプローチ→フルショット)
- 「できることが増える」という具体的な体験を通じて、自己効力感を強化し、運動への意欲を高める
まとめ:慢性腰痛は「物語」として捉える
本症例は、仙腸関節由来の侵害受容性疼痛が主体であり、椎間板性の問題がそれを修飾していました。さらに、睡眠障害や運動恐怖といった要素が痛覚の過敏性(痛覚変調性)を補強し、ネガティブな認知という心理社会的要因が症状の慢性化を助長している、という構造が見えてきます。
介入のゴールは「痛みをゼロにする」ことだけではありません。患者さんのHOPE(ゴルフ復帰・快適なデスクワーク)を実現することです。そのために、短期的には関節モビリゼーションなどで痛みの変化を実感してもらい、中長期的にはPSEと段階的暴露療法を併用して「動ける自分」を再構築していくことが鍵となります。
このように臨床推論を構造化することで、「痛み=組織の損傷」という単純な図式から脱却し、患者さん一人ひとりの「意味と文脈を持つ物語」に沿った、より質の高い理学療法・作業療法を実践できるはずです。
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