「昼間のリハビリでは問題なかったのに、夜間に転倒してしまった」
このような報告を受けた経験はないでしょうか。
夜間のトイレ動作は、昼間の評価だけでは決して捉えきれない、特別なリスクを孕んでいます。
夜間トイレ動作は、筋力・照度・覚醒レベルがすべて変化する“特殊な時間帯”です。
リハビリ室や日中の病棟で観察した動作能力が、そのまま夜間に再現されるわけではありません。むしろ、夜間こそ本当の生活動作能力が試される場面であり、転倒リスクが最も高まる時間帯なのです。
昼間のADL評価だけでは見えない転倒リスクを、どのように捉えるか。
夜間という特殊な時間軸の中で、どのような観察眼を持つべきか。
このコラムでは、理学療法士・作業療法士としての安全観察力を磨くヒントを共有します。
夜間のトイレ動作評価は、単なるリスク管理ではありません。それは、対象者の生活全体の安全をデザインする、療法士の専門性が最も問われる場面なのです。
1. 夜間動作のリスク構造:なぜ夜に転倒するのか?
暗所・低覚醒・急激な起立が生む複合リスク
夜間のトイレ動作が昼間と根本的に異なるのは、複数のリスク要因が同時に重なることです。一つひとつは小さなリスクでも、それらが組み合わさることで、転倒の危険性は指数関数的に高まります。
- 照明が不十分で、周囲が見えにくい
- 目が暗順応していない(起床直後は特に)
- 段差や障害物の認識が困難
- 距離感の誤認(トイレまでの道のりを間違える)
- 影や光の反射による錯視
生理的リスク(低覚醒):
- 睡眠から覚醒への移行期で判断力が低下
- 平衡感覚が鈍い
- 筋肉の準備不足(ウォーミングアップなし)
- 反射神経の低下
- 注意力の散漫
血圧変動リスク(急激な起立):
- 起立性低血圧(臥位から立位への急激な変化)
- 夜間低血圧(睡眠中は血圧が下がる)
- めまい、ふらつき
- 一過性の意識レベル低下
- 降圧薬の影響(特に就寝前服用の場合)
心理的リスク:
- 「早くトイレに行かなければ」という焦り
- 転倒への不安からくる緊張
- 「スタッフを呼ぶのは申し訳ない」という遠慮
- 失禁への恐怖
- 夜間の孤独感や不安感
複合リスクの実例
ある70代男性は、日中は杖歩行で自立していました。しかし夜間、尿意で目覚め、急いでトイレに向かおうとベッドから降りた瞬間、起立性低血圧によるめまいでバランスを崩し、床に手をついて転倒しました。
この転倒には以下の要因が複合的に関与していました。
- 低覚醒状態(起床直後)
- 暗所(ベッドサイドの照明をつけなかった)
- 急激な起立(尿意の切迫感から焦った)
- 起立性低血圧(降圧薬を服用中)
- 筋力の準備不足(体が目覚めていない状態)
このように、夜間の転倒は単一の原因ではなく、複数の要因が重なって起こることを理解する必要があります。
家庭・施設で異なる「環境因子」
夜間トイレ動作のリスクは、環境によって大きく異なります。退院支援や施設入所の際には、必ず「その場所での夜間トイレ環境」を事前に評価し、リスクを予測する必要があります。
- 病院環境:ナースコールや巡回があるが、入院直後は慣れない環境への戸惑いがある。
- 施設環境:廊下は明るいが部屋は暗い、スタッフが手薄な時間帯がある、他利用者の生活音が気になる。
- 自宅環境:住み慣れてはいるが、段差や階段、照明不足、動線が複雑な場合がある。
2. 夜間トイレ動作評価チェックリスト5領域
夜間トイレ動作の転倒リスクを体系的に評価するため、以下の5つの領域に分けてチェックリストを作成しました。これらを用いることで、見落としがちなリスクを漏れなく評価できます。
① 起床・離床時のふらつき
夜間転倒の多くは、ベッドから起き上がる瞬間、あるいは立ち上がる瞬間に発生します。この瞬間のリスクを評価することが、転倒予防の第一歩です。
- 臥位から座位への移行時にめまいやふらつきがあるか
- 座位保持は安定しているか(端座位で30秒以上)
- 起立性低血圧の既往や症状があるか(収縮期血圧20mmHg以上の低下)
- 降圧薬、睡眠薬、利尿剤などリスクのある薬を服用しているか
- 夜間覚醒時の意識レベルはどうか(すぐにはっきりするか、ぼんやりしているか)
- ベッドの高さは適切か(足底が床にしっかりつくか)
- ベッド柵の使い方を理解しているか(支持物として活用できるか)
- ベッド周囲に障害物はないか(点滴スタンド、椅子、荷物など)
- 立ち上がり前に十分な準備動作をとっているか(深呼吸、足の位置調整など)
- 履物は適切か(脱げやすいスリッパではないか)
② 移動経路の照明と段差
ベッドからトイレまでの移動経路は、夜間の転倒リスクが最も高い場所です。暗所での移動は、距離感の誤認や障害物への衝突を引き起こします。
- ベッドサイドに照明があるか、手の届く位置にあるか
- 廊下や通路の照明は十分か(足元まで見えるか)
- 足元灯やナイトライトは設置されているか
- 段差はあるか(敷居、床材の変わり目など)
- 段差がある場合、視認しやすいか(色分け、照明、テープなど)
- 床材は滑りにくいか(フローリング、タイル、カーペット)
- 移動距離は適切か(遠すぎないか)
- 移動経路に障害物はないか(家具、電気コード、マットの端など)
- 曲がり角や方向転換する場所は明るいか
- 照明のスイッチ位置はわかりやすいか
評価のポイント:実際に夜間の照明条件で歩いてみることが重要です。昼間は問題なくても、夜間は全く見え方が違います。
③ トイレ入口~便座までの動線
トイレ内は狭い空間での方向転換、ドアの開閉、衣服操作など、複雑な動作が要求されます。
- トイレのドアは開けやすいか(引き戸か、開き戸か)
- ドアを開けた状態で十分なスペースがあるか
- トイレ内の照明は十分か(人感センサー等の自動点灯が理想)
- 便座の位置を視認しやすいか
- 方向転換のスペースは十分か(車椅子、歩行器使用の場合)
- 床は濡れていないか、滑りやすくないか
- トイレ内に手すりはあるか、位置は適切か
- トイレの入口に段差はないか
- ドアの施錠・解錠は容易か(閉じ込められるリスクはないか)
④ 便座高さ・支持物の位置関係
便座への着座と立ち上がりは、夜間トイレ動作の中で最も筋力とバランスが要求される動作です。
- 便座の高さは適切か(膝関節が90度前後、または立ち上がりやすい高さか)
- 便座が低すぎないか(立ち上がりが困難にならないか)
- 便座が高すぎないか(足が床につかないと不安定)
- 手すりの位置・高さ・強度は適切か
- 便座は安定しているか(ぐらつきはないか)
- ペーパーホルダーの位置は適切か(無理な姿勢にならないか)
- 便座周囲に支持できる場所があるか(壁、手すり、カウンターなど)
⑤ 緊急呼出し・夜間照明の有無
万が一転倒してしまった場合、すぐに助けを呼べる体制があるかどうかが、重大な事故を防ぐ最後の砦となります。
- ナースコールや緊急呼出しボタンはあるか、手の届く範囲にあるか
- ナースコールの使い方を理解しているか
- トイレ内にもナースコールがあるか
- 転倒時に呼出しボタンを押せる状態か(意識があるか、手が使えるか)
- 家族や介助者は夜間に対応できるか(同じフロアに寝ているか)
- トイレの使用状況をモニタリングできるか(人感センサー、ドアセンサー)
3. 事例から学ぶリスク予知と多職種連携
“未遂転倒”の行動サインを記録する
実際に転倒する前に、「ヒヤリハット」や「未遂転倒」のサインが現れることが多くあります。これを見逃さず記録し、分析することが重要です。
- ベッドから降りる時に一瞬ふらついたが、手すりを掴んで持ちこたえた
- トイレまでの移動中、壁に手をついた
- 便座に座る際、勢いよく座り込んだ(ドスン座り)
- 立ち上がりの際、「あぶない」と声が出た
- 夜間、歩行器を使わず歩いていたところを発見された
「転倒しなかったから良かった」ではなく、「転倒しかけた=次は転倒する可能性がある」と捉え、チーム内で共有しましょう。
看護・介護職との夜間観察連携
療法士が夜間の様子を直接観察できる機会は限られています。だからこそ、看護師や介護職との連携が不可欠です。
具体的な依頼内容の例:
「Bさんは日中の歩行は安定していますが、起立性低血圧のリスクがあります。夜間トイレに行く際、以下の点を観察していただけますでしょうか。
- ベッドから起き上がる時のふらつきの有無
- 移動時の歩行の安定性(日中との違い)
- トイレから戻った後の顔色や息切れ
もし気になる点があれば、些細なことでも記録をお願いします。」
このように具体的な視点を伝えることで、精度の高いフィードバックが得られ、リハビリの介入方針(端座位保持時間の延長指導など)に活かすことができます。
まとめ:夜間トイレ動作の評価は「安全設計力」を磨く絶好の機会
① 昼間の評価だけでは不十分:
夜間には暗所・低覚醒・血圧変動といった複合的なリスクが存在します。昼間の「自立」が夜間の「自立」とは限りません。
② 5領域のチェックリストで体系的に評価:
起床からトイレ、緊急時対応まで、5つの領域をチェックすることでリスクを予測し、介入の優先順位を決定します。
③ 多職種連携で24時間の安全を守る:
夜間の観察は看護・介護職と連携し、未遂転倒のサインを見逃さない体制を作ることが、重大事故防止の鍵です。
療法士活性化委員会からのメッセージ
「夜のトイレ」は、リハビリテーションの盲点になりがちな領域です。しかし、実はここにこそ、臨床の本質が詰まっています。
- 昼間の訓練室では見えない、本当の生活動作能力。
- 標準化された評価では捉えきれない、個別的なリスク。
- 多職種が連携しなければ守れない、24時間の安全。
夜間トイレ動作の評価は、単なるリスク管理ではありません。それは、対象者の生活全体を見渡し、環境を調整し、チームを動かして、安全で安心な生活をデザインする、療法士の総合力が試される場面です。
このコラムで紹介したチェックリストや事例が、明日からの臨床で、一件でも転倒事故を防ぐきっかけになることを願っています。
夜間という特殊な時間帯にこそ、療法士の専門性が光ります。
安全と自立のバランスを見極め、対象者の夜を守る。それが、私たち療法士の使命です。







